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第三章 公演 第二十一話

last update Last Updated: 2026-01-09 18:00:07

 翌日。金曜日なので、いつもどおり授業があるが妙にそわそわして集中できなかった。今日の授業は四コマ目で終わるので、本番開始まで少し余裕がある。昼になり、なんとなく部室で昼食をとることにする。生協で弁当を買ってサークル棟へ向かう。部室にはけっこう部員がいた。

「おはようございます」

 始めのうちは自分が受け入れられているのか自信がなく気後れして入りにくかったが、部室に入るのももう慣れた。平日は午後六時から午後九時半まで、授業の隙間や昼もこうして部室にいたので、なんというか家族よりも一緒にいる時間が長い気がする。

「おっはよー!」

 元気な声で橋本さんが挨拶を返してくれる。他の部員たちも口々に挨拶してくれる。そういうなんでもないことがなんだか嬉しい。世間では何でもないことかもしれないが、僕にとっては貴重だった。

「来たな、ナベ」

 ガジンはカップラーメンを食べている。部室には十人くらいいてちょっと手狭てぜまに感じる。

「なんか授業中もそわそわしちゃってさ」

 テーブルがあいてないのでプラスチック製のビールケースに座る。どこから持ってきたのかわからないが、演劇研究会の部室にはビールケースがやたらとたくさんある。舞台で使うのだろうか。

「わかる」

 ガジンはラーメンをすする。

「ガジンくん、今日ずっと部室か多目的ホールにいるでしょ」

 そうツッコむのは主役の一人の久美子先輩だ。前田先輩は部員たちから久美子と呼ばれている。

「そわそわしすぎて授業どころじゃないんですよ」

「あー、危ない。ガジンくん留年しそう」

 久美子先輩はニヤニヤ笑っている。

「もう浪人してんですから留年は勘弁してほしいですね」

「えっ!?ガジン、浪人してたの!?」

 初耳だった。同い年だと思っていた。

「うん、俺二十歳」

「うそ!?成人もしてたんだ」

 珍しく大声を出してしまったがこれも初耳だ。自由に生きてるとは思っていたが、意外だった。

「そうそう、俺もう酒飲めるよ」

「うっそー!?
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